森岡 元徳(もりおか もとのり)は、江戸時代中期の弘前藩士。
生涯
享保20年(1735年)、森岡元隆の次男として誕生。宝暦元年(1751年)4月に兄・元生が死去、家督と寄合格1000石を継いだ。
同2年(1752年)大組武頭、同4年(1754年)表書院大番頭となり、同7年(1757年)参政となる。同9年(1759年)、祖先・森岡信元の所持品「来金道の脇差」を信元が殺害された久渡寺に寄贈し、通称を信元と同じ金吾に改名した。
明和8年(1771年)に家老となるも、飢饉の連続に対して庶民の救済をせず、藩主に虚偽の報告をして特定商人と結び、贅沢にふけっていた。天明4年(1784年)、家老を免職となり、知行を300石に減らされ、蟄居させられた。翌年(1785年)、罪を詫び、自宅の物置で自害した。
なお、久渡寺(青森県弘前市)に現存する円山応挙の幽霊画「返魂香之図」について、2021年、弘前市文化財審議委員の調査で絵のモデルが元徳が亡くした妾「國(くに)」である可能性が高いことが判明した。
出典
参考文献
- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



