宇喜多 秀正(うきた ひでまさ)は、江戸時代前期の人物。宇喜多秀高の嫡男。母は八丈島奉行奥山忠久(縫殿助)の娘。

生涯

慶安1年(1648年)、八丈島に配流となった備前岡山の大名・宇喜多氏の嫡家(宇喜多孫九郎家)の嫡男として生まれる。

秀正の生年に父秀高は没し、家督を相続する。

その後、優婆夷宝明神社の神職奥山宮内忠次(奥山忠久の次子)の娘マスを娶り、2男1女をもうける。

天和2年(1682年)6月27日、死去。享年35。

嫡家(宇喜多孫九郎家)は長男秀親が継承し、次男正忠は分家(浮田忠平家)する。

参考文献

  • 岡山市 編「国立国会図書館デジタルコレクション 宇喜多秀家史料」『岡山市史. 第2』岡山市、1922年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261440/337 国立国会図書館デジタルコレクション。 
  • 近藤富蔵『八丈実記 第1巻-第7巻』緑地社、1964-1976。 

脚注


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UT02 宇喜多秀継

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