エドウィン・ロサリオEdwin Rosario、1963年3月15日 - 1997年12月1日)は、プエルトリコの男性プロボクサー。元世界2階級王者(ライト級、ジュニアウェルター級)。

来歴

1979年、ドミニカ共和国でプロデビュー。

1983年5月1日、22戦目で世界王座初挑戦。WBC世界ライト級王座決定戦でホセ・ルイス・ラミレスと対戦し、12回判定勝ちで無敗のまま世界王座を獲得した。同王座は2度の防衛に成功した。

1984年11月3日、3度目の防衛戦でラミレスと再戦し、4回TKO負けで王座から陥落した。

1986年6月13日、WBC世界ライト級王者ヘクター・カマチョに挑戦し、12回判定負けで王座返り咲きならず。

1986年9月26日、WBA世界ライト級王者リビングストン・ブランブルに挑戦し、2回KO勝ちで王座を獲得した。同王座はファン・ナサリオ相手に1度の防衛に成功した。

1987年11月21日、2度目の防衛戦でフリオ・セサール・チャベスと対戦し、11回TKO負けで王座から陥落した。

1989年7月9日、WBA世界ライト級王座決定戦でアンソニー・ジョーンズと対戦し、6回TKO勝ちで王座に返り咲いた。

1990年4月4日、初防衛戦でファン・ナサリオと2年8か月ぶりに再戦し、8回終了時TKO負けで王座から陥落した。

1991年6月14日、1階級上のWBA世界ジュニアウェルター級王者ロレト・ガルサに挑戦し、3回TKO勝ちで2階級制覇に成功した。

1992年4月10日、メキシコシティで行われた初防衛戦で平仲明信と対戦し、初回1分32秒TKO負けで王座から陥落した。

1993年1月30日、フランキー・ランドールと7年7か月ぶりに再戦し、7回TKO負け。この試合を最後にブランクを作った。

1997年5月22日に4年4か月ぶりの復帰戦を行い、復帰戦を含め5か月連続で試合を行う。

1997年12月1日、別れた妻と子供の住む家を訪れるが、気分が悪いとして1時間ほどで滞在を切り上げ、両親と暮らす自宅に帰宅する。翌日父親がベッドの上で死んでいるロサリオを見つける。検死の結果、死因は動脈瘤であり麻薬とアルコール中毒が原因とされた。34歳没。

獲得タイトル

  • WBC世界ライト級王座(防衛2度)
  • WBA世界ライト級王座(防衛1度)
  • WBA世界ライト級王座(防衛0度)
  • WBA世界ジュニアウェルター級王座(防衛0度)

脚注

関連項目

  • 男子ボクサー一覧
  • 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
  • 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
  • 国際ボクシング名誉の殿堂博物館

外部リンク

  • エドウィン・ロサリオの戦績 - BoxRec(英語)

エドウィン・ロサリオ(Edwin Rosario)「世界の強豪ボクサー」ボクシング・ブログ

ボクシング劇場 動画館 エドウィン・ロサリオVSホセ・ルイス・ラミレス 2

1992/04/10 WBA世界Jr.ウェルター級タイトルマッチ「エドウィン・ロサリオvs.平仲明信」 YouTube

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