藤原 景舒(ふじわら の かげのぶ)は、平安時代中期の貴族。従三位・藤原国章の子。
経歴
天徳4年(960年)天徳内裏歌合で念人を務めた童子の一人として名が見える。永観2年(984年)娘を五節舞の舞姫として殿上に献じている。
円融朝から一条朝にかけて、伊賀守・加賀守・播磨守など受領を歴任。六位蔵人を務めていた時期もあり、天皇側近の受領階層だったことがうかがえる。また兄弟の景斉とともに藤原実資の家人でもあった。
一条朝前期の永延3年(989年)播磨守であった景舒は、伊予守・源清延と交替する形で伊予守に遷る。この人事は、寛弘7年(1010年)に尾張守・大江匡衡と丹波守・高階業遠が官職を交替した際に先例として挙げられている。しかし、翌永祚2年(990年)には藤原道頼が伊予守に任ぜられており、景舒は短期間で伊予守を去ったとみられる。
官歴
- 応和3年(963年) 閏12月21日:見小舎人
- 時期不詳:六位蔵人
- 天延2年(974年) 11月1日:見伊賀守
- 永延元年(987年) 6月6日:見加賀守
- 永延3年(989年) 3月5日:去播磨守、任伊予守
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原国章
- 母:伊予守能守の娘
- 妻:源遠古の娘
- 男子:藤原忠家
- 生母不明の子女
- 男子:藤原景章
- 女子:藤原則友の妻(藤原国成の母)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 服部早苗「平安朝の五節舞姫―舞う女たち―」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』11号、埼玉学園大学、2011年。
- 久下裕利「道長・頼通時代の受領たち―近江守任用―」『学苑』817号、光葉会、2008年。
- 宮崎康充 編『国司補任』 3巻、続群書類従完成会、2000年。ISBN 978-4-7971-0643-5。
- 宮崎康充 編『国司補任』 4巻、続群書類従完成会、2000年。ISBN 978-4-7971-0644-2。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第一編』 10巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090010-2。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第一編』 21巻、東京大学出版会、1989年。ISBN 978-4-13-090021-8。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第一編』 23巻、東京大学出版会、1989年。ISBN 978-4-13-090023-2。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 1巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090051-5。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 2巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090052-2。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 5巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090055-3。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第二編』 6巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090056-0。
- 『尊卑分脉』 2巻、吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉、2007年。ISBN 978-4-64-204062-4。




