コローニ・C3 (Coloni C3, FC189) は、コローニ SpAが1989年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。C3はその後のC3B、C3C、C4のベースとなった。
開発
コローニ・C3は、チームが1988年の夏にAGSから獲得したクリスチャン・バンダープレインによって設計された。開発作業は9月に始まり、翌年の6月までに完成することになっていた。C3は前作のFC188とは異なり、スリムかつ軽量化した新設計のモノコックを有していた。しかしながらサスペンションはほとんど変更が無かった。その年の他のF1マシンと比べると、C3のホイールベースは非常に短く2800mmしかなかった。ボディのデザインは当時の流行に合わされ、スリムな車体とドライバー頭上にエアスクープを装備、カウルは後方に向けてなだらかに傾斜していた。サイドポッドは非常に低くデザインされた。エンジンはフォード・コスワース DFRを装備、これはスイスのハイニー・マーダー・レーシング・コンポーネンツがチューンした物であった。チームは1989年春に2台のC3を準備した。カラーリングは前作までの明るい黄色一色とは異なり、白と黒の塗り分けに黄色と青のラインが入った物となった。
しかしながら、AGSから2人のスタッフを引き連れての移籍だったバンダープレインは7月のドイツGPで「C3の製作も完了したのでコローニとの契約を解消した」と発表、マシンを熟成させることなくチームを離脱してしまった。いくつかの文献では、C3はチームを上位にもたらす可能性があったと指摘している。チームの財源不足とチーム内での意見の相違が車の開発やチームの活動体制の発展を妨げた。
レース戦績
コローニは1989年、2台体制でシーズンに臨んだ。C3は6月の第6戦カナダGPで初めて投入された。ドライバーは前年の国際F3000選手権でシリーズタイトルを獲得、フェラーリで639を開発しドライバーとして評価を得ていたロベルト・モレノと契約。セカンドカーには、前年のオーストラリアGPでのF1スポット参戦歴があり、いくつかのフランススポンサーを持ち込んだF3000ドライバー、ピエール=アンリ・ラファネルを起用した。ラファネルは開幕から第10戦ハンガリーGPまで予備予選不通過が続き、第11戦ベルギーGPからはマカオF3勝者であるエンリコ・ベルタッジアと交代することになった。モレノはカナダGP、イギリスGP、ポルトガルGPで予選を通過し、決勝に進出したがいずれもリタイアしている。ポルトガルGPでは予選を15位で通過した。リタイア原因はギアボックスの破損が2回、エンジンの不調が1回であった。セカンドドライバーのラファネルとベルタッジアは全戦で予備予選落ちし、決勝レースを走ることは1度も無かった。
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション)
参照
参考文献
- Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports. Autos, Strecken und Piloten. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
- David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars. Crowood Press, Marlborough 2001, ISBN 1-86126-339-2.(英語)
- David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945. Motorbuch-Verlag, Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
- Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1. 2. Auflage. Chronosports, St. Sulpice 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)
- The magazine "Formula 1". November 2000. ed. "Autopanorama". pp. 46-51. ISSN 1560-3571
外部リンク
- Coloni FC189 @ STATS F1




