ホルミズド6世(パフラヴィー語: 𐭠𐭥𐭧𐭥𐭬𐭦𐭣)は、サーサーン朝の君主。サーサーン朝の将軍で簒奪者のシャフルバラーズの息子シャープール5世が貴族のファッルフ・ホルミズドによって廃位されると、シャフルバラーズはニシビスでホルミズド6世を擁立、一方ファッルフ・ホルミズドはクテシフォンでサーサーン朝の王女アーザルミードゥフトを擁立した。ホルミズド6世は祖父ホスロー2世(在位:590年 - 628年)が628年に廃位され処刑された後の内乱で即位した多くの簒奪者の1人だった。彼はニシビスで2年ほど統治したが、即位のときに自身を支持した軍に裏切られて廃位された。ホルミズド6世と同じくホスロー2世の孫であるヤズデギルド3世が貴族の支持を受けてサーサーン朝唯一の君主となった。

脚注

参考文献

  • Shahbazi, A. Shapur (2004). "Hormozd V". Encyclopaedia Iranica, Vol. XII, Fasc. 5. pp. 467–469.

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