大久保 黄斎(おおくぼ こうさい、文化9年(1812年) - 明治28年(1895年)6月3日)は、江戸時代の医師。名は道理(みちまさ)。

略歴

甲斐国巨摩郡古市場村(現在の南アルプス市古市場)に、医家の初代大久保章言の次男として生まれる。兄は甲斐における蘭方医学の祖とされる貞固(二代章言)。天保3年(1832年)に黄斎は江戸に出て蘭方医・坪井誠軒の高弟となり医学を学び、後に甲府で開業する。

嘉永元年(1848年)に兄の二代章言が死去すると古市場村に帰郷し、分家して医業を継続した。嘉永3年(1851年)には、甲斐国で初めて種痘を施行した。84歳で死去。

世事記

黄斎は『世事記』と題された大久保家の金銭出納帳を残している。『世事記』は原本が身延山大学図書館に所蔵され(池原文庫)、形態は横半帳。一年一冊で19年分(21冊)が伝存している。

内容は日付・金額・品目・店名(人名)の四項目で大久保家の支出を記録し、幕末・明治記には記録が詳細化している。内容は多岐にわたるが、特に海産物の記載が詳細で、近世後期から明治期の甲斐における海産物の流通、加工形態や消費の動向など、多様な情報を記している。また、明治20年代には鶏肉や牛肉などの家畜、イノシシ、シカなど野生獣の購入が増えるなど、肉食の習慣が広まっていく食生活の変化も見られる。また、1895年(明治28年)には牛乳の購入が記録されている点も注目される。

脚注

参考文献

  • 村松学佑『甲斐国医史』2002
  • 宮澤富美恵「蘭方医大久保黄斎の食生活」『甲州食べもの紀行』山梨県立博物館、2008
  • 植月学・宮澤富美恵「甲州における幕末・明治期の海産物消費動向-大久保黄斎『世事記』の分析から-」『山梨県立博物館研究紀要 第5集』山梨県立博物館、2011

大久保笃(日本漫画家)_搜狗百科

大久保黄齋

大久保さん、ごめんなさい=瀧井一博著「大久保利通 『知』を結ぶ指導者」を読了 旧《溪流斎日乗》 depuis 2005

北斎

PREV