グナエウス・コルネリウス・ブラシオ(ラテン語: Gnaeus Cornelius Blasio、生没年不明)は紀元前3世紀中頃の共和政ローマの政治家、軍人。執政官(コンスル)に二度選出され、第一次ポエニ戦争を戦った。
出自
パトリキ(貴族である)コルネリウス氏族の出身。父のプラエノーメン(第一名、個人名)はプブリウス、祖父はグナエウスである。ブラシオ家で執政官になったのはグナエウス一人で、氏族の他の人物との関係は不明である。
経歴
紀元前270年、ブラシオは執政官に選出された。同僚のガイウス・ゲヌキウス・クレプシナは二度目の執政官選出であった。この年、両執政官はレギウム(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)での戦いに勝利し、ブラシオだけが凱旋式を挙行する栄誉を得ている。紀元前265年には、ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌスと共にケンソル(監察官)に選出されている。紀元前257年には二度目の執政官に選出されるが、同僚はガイウス・アティリウス・レグルスであった。
脚注
参考資料
- Friedrich Münzer : Cornelius 73. In: Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft (RE). Band IV,1, Stuttgart 1900, Sp. 1271 f.
関連項目
- 共和政ローマ執政官一覧
- 共和政ローマ監察官一覧



